大デ・アニメーション学科が大切にしている
2026.07.03アニメーション学科
デザインの専門学校 大阪デザイナー・アカデミー(旧:大阪デザイナー専門学校)
ダブル台風が描きまわしたから前線の位置が乱れて梅雨明けが早まるかも、アニメーション学科の森です。
文芸学科ではなくアニメーション学科なのだから
アニメも映画もマンガも小説も、ストーリーが大切であることは間違いありません。なので、アニメ作品作りにおいて企画を立てるところで、学生たちにどんなアニメを作ろうとしているのかを授業担当の先生は必ず問います。
学生たちは課題のテーマに対してどのようにアイデアを膨らませてどんなアニメを作るのかを先生にストーリーを語ります。
ですが、私たちはシナリオライターを育てる学科というよりも、アニメーターであったり画面を作るデザイナー・クリエイターを育てることに重きをおいていますので、語るストーリーの中にどんな画面をデザインして動かしてカッコ良く見せる、楽しく見せるなど、どんな画面を作って観客に見せてくれるのかをプレゼンしてくれる事に期待を持って学生たちの思いを聞き見せてもらいます。
なので、ストーリー作りが作業の主になり原稿用紙に向かうことよりも絵コンテ用紙に向かって画面のイメージを絵で描いたりモンタージュをスケッチすることに時間を費やしてもらいたいことを学習の中で伝えることを大切にしています。。

アニメを見たよっていう話になったら
私たちはほぼ例外なく「どんなストーリーだった?」「話しの内容は?」という会話になることが当たり前でしょう。しかし、そこで語られることはほぼあらすじが語られるのであって、アニメ制作において求められるシナリオである具体的で詳細なストーリー(物語)が語られるわけではありません。あくまでも会話の中で語られることは「あらすじ」です。
アニメーション制作に必要な
ストーリーとなると、あらすじでは不十分です。世界観も場面設定もキャラクターの設定もその役割りも明らかにしなければなりません。あらすじでは省略していた様々な事を具体的にしなければならないのです。
アニメ制作にあってのストーリーを作るということは、そういう事なのです。
教材に使用した『七人の侍』と『荒野の七人』を見比べれば
あらすじが何なのかとシナリオとはどうあるべきなのかを学ぶことができます。
ふたつの映画は、あらすじで大雑把に語ると「侍が(ガンマンが)困っている農民を助けて野武士を(盗賊を)退治する話」なわけでありますが、ひとつひとつのエピソードやキャラクター設定や舞台を見比べると全くと言っていいほど違いがあることが観察できます。
例えば、最後の有名なセリフで「勝ったのは百姓たちだ(農民たちだ)、我々ではない」という共通のセリフが用意されていますが、そのセリフの意味も両作品のテーマの違いによって異なる意味に変わってしまっています。
その事に気付くと、『荒野の七人』は、単なる七人の侍のリメイク映画では済まされないという事にも気付きます。
つまり、簡単に「ストーリーを作る」と言ってしまいがちですが。ストーリーを考えてアニメを作るということは、適当にあらすじを考えることとは違うのだというわけです。
アニメーターはストーリーを作る役割ではなく
描いて動かして画面を充実させることが仕事です。
アニメーターを目指す皆さんはシナリオの書き方を勉強しに来たわけではなく、画面の中でキャラクターをどのように動かしてどんな画面を作り上げて見せるのかが役割りなのです。

1学年時と2学年時の学びに違いを設けているのです
ここめでの説明のとおり、入学前のプレスクールそして入学後の1年間は、純粋に動かすことについての学習に重きを置き、本来のアニメーションの楽しさ面白さについて学んでもらいます。
そして、その学習に並行してキャラクターをデザインするトレーニングを進めながら、キャラクターを動かすテクニックを演習を交えながら身につけてもらい、同時に、アニメーションを完成させるために必要なデジタルワークを学習し、グループワークの経験も進めます。
その1年間の成果を進級制作課題を通じて個人制作を行い、自身がアニメ監督となって、キャラクターを創作しデザインし、アニメーターとなって作画し動かし、さらには仕上げとなって色彩を施し、背景を作り、撮影し、録音し、上映発表する、企画から制作そして発表までの全工程を経験し技術を手に入れます。
1年生の後半と2年生に進級してからは、動かす事のそれまでのテーマから次のステージにステップアップ! 映画表現の学習が加わり、映画演出や演出技術について学びます。
ここで、それまで控えていた作品としての完成度を高めるためのストーリーを大切にしたアニメ制作を本格的に作品作りを行いながら制作技術を手に入れます。
卒業制作です。
1学年時に学んできた描いて動かす事の面白さ楽しさから離れられなくなって職業として続けて行こうと覚悟ができた人はアニメーターコースを専攻して、卒業制作でも描いて動かしまくるでしょうし、1年生後期から学習が加わった映画の魅力に気付き、作画にこだわらずにアニメーション業界において何かしらの職種でアニメ制作の仕事に関わって行こうと考えてアニメ演出・監督コースを専攻した人は進級後の2学年時にはさらなる映画表現の技法に加えて色彩の学習、音声と録音についての学習、それらの知識を踏まえたうえで何を考えて企画を立てるか、そしてそして、それをプレゼンテーションすることを学習するわけです。
画面で『七人の侍』を語る
映画『七人の侍』と『荒野の七人』をあらすじで語ると似た筋書きだが、ストーリーで見比べると全く異なるものと言いました。
具体的なエピソードでピックアップすると、このふたつの場面は、とても『七人の侍』らしいエピソードです。
画面で紹介します。
百姓が侍を雇うために村から持ってきた米を盗まれてしまったシーン

壺の底に残っていた米粒。ひっくり返してみるとこれだけしか残っていない、
金で侍を雇うことができない代わりに自分たちは稗を食い、お侍さんたちには白米を食べてもらう。百姓たちにとっては大金に値するひとつひとつの米粒を与平が涙ぐみながら摘み上げる。
米粒一粒の重みは『荒野の七人』では描けない。
菊千代が火が放たれた小屋から赤ん坊を救い出すシーン
侍七人にあって菊千代というキャラクターはミステリアスに描かれ物語は進む。勘兵衛の「どうかな」というセリフから始まって、どこからか手に入れたのであろう系図の巻物への指摘、観客も徐々に菊千代が何者なのかに気づき始める。百姓たちが落ち武者から手に入れた兜や鎧、武器を手柄のように勘兵衛たちの前に出してきたときに菊千代の素性は明らかになる。
さらにこのエピソードで彼の劇中の役割と秘められていた全てが明らかになり全てが腑に落ちることになる。

これらのエピソードは
あらすじで語られた場合は省略されてしまうエピソードだろうが、『七人の侍』を語るにおいて、決して無視できない、『荒野の七人』とは区別される大切なシーンである。
ストーリーを作る役割りとは、そういったことを明白に創り上げていくことが役割りだということが大切であり、それらをクリアにして、はじめてストーリーを考えたと言うことができるのだと思います。





















